<span itemprop="headline">第34回宇都宮空襲展</span>

現在:雷都

過去:軍都

そう呼ばれる宇都宮。

今年も宇都宮空襲展が開かれるとの事で、足を運んでみた。
今回で34回、初めて行ったのが3回の時だったが3回から数回は
毎年足を運んでたのだけど、それ以降は飛び飛び状態。
今回出向いたのも久々だった。








会場に到着前に写真を撮る為、大銀杏へ。
此処にも、戦災の爪痕のパネルが展示されている、


宇都宮大空襲の概要は、リンク先で見て下さい。





会場に到着。
以前より、規模も小さく展示物も少なくなっていた。
もう、73年前の話。当時を知る方々もかなり減った。








何と、焼夷弾が貫通した天井板。








弾頭部のおもり。








コレは筒部分のカバーの残骸でしょうか。








M47焼夷弾の現物。








E46集束焼夷弾の実物大模型もありました。








コレは初めて見た時(第3回の見学時)から
記憶が消える事がありませんでした。

焼夷弾の炎の凄まじさを物語ってます。








子爆弾の残骸もありました。








戦時中の衣服もありました。








綺麗な状態で残ってます。








機関銃の弾








米軍の弾








鉢巻でしょうか。








このようなものも。








戦後間も無く発行されたのでしょか。
宇都宮空襲の1ヶ月後に終戦を迎えてますからね。








こんなのもあったんですね。








空襲翌日の新聞記事。
号外でしょうか。








県内で空襲が有った場所の大まかな見取り図。
宇都宮だけではなかった事が分かりますね。








宇都宮市内のジオラマ。
戦災が有った場所が一目で分かります。








欠けた釜を戦闘機の残骸ででも補修したのでしょうか。








リベットでがっちり止まってます。








宇都宮空襲に関する書物。








コレは空襲前の写真。
写真の殆どが、空襲で焼けてしまいましたね。








今回も当時を知る方から直接話を聞く事が出来ました。
最高齢と思われる方は、清原飛行場界隈で働いていたことがあるおばぁちゃんでした。

先の大戦を大東亜戦争と呼び、日中戦争の話もしてまいたね。
このおばぁちゃんと案内人の一人の方、それと自分の3人で
清原飛行場界隈の話で盛り上がりました。

清原飛行場は、自分が幼い頃は未だ滑走路や格納庫も存在してたのです。
父の地元という事もあり、幼い頃から色々なモノを見る機会がありましたね。
詳しく書くと長文になるので割愛しますが、後年まで残っていた陸軍航空隊の
門柱が何時の間にか無くなってた事は、私含め皆残念だったようです。

初めて行った第3回の時は、それこそ戦地に赴いた
色々な階級の元兵隊さんから話を聞く事が出来ましたが、
今回は元兵隊さんにはお会いできませんでした。

今回の案内人の方々ですら、戦中は子供の頃だったそうです。
その中の一人、戦前から続く写真館のおばぁちゃんの話。
子供の頃、空襲で焼け出された一人でした。
その親父さんは、死ぬまであと一か月終戦が早ければ
焼け出されずに済んだとよく口にしてたそうです。

昔から戦争体験者から当時の話を聞く事は好きでしたし、
戦争遺産を身近に見ていた事もあり、興味もありました。

今は先の大戦の事を後世にどう伝えていくかが課題だそうです。
ま、聞けるうち見られるうちに、個人的にでも記録しておきたい物です。

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