事の発端は、御世話になってる車屋さんからの
一本の電話からだった。
一本の電話からだった。
『おかちゃんのKP61出さない?仲間がクラシックカーレースに
出るベース車を探してるんだけど。』
出るベース車を探してるんだけど。』
正直、戸惑いも有った。
KP61を乗ろうと考え憧れたのは、俺が中学生の頃。
当時地元であったJR宇都宮駅東、R4と駅東口より
延びる道の交差点での出来事…。
当時地元であったJR宇都宮駅東、R4と駅東口より
延びる道の交差点での出来事…。
R4を北より、レースカー顔負けのけたたましい音を立てて
1台の真紅のKP61が走ってきた。
1台の真紅のKP61が走ってきた。
お~っと思いながらも、その当時は余り興味が無かった車で。
それまでは、『よろしくメカドック』に感化されてたので、
赤黒のセリカXXに乗りたいと思っていた。
赤黒のセリカXXに乗りたいと思っていた。
すると、交差点手前で所謂『ヒール&トゥ』で
シフトダウンし、交差点に進入。
シフトダウンし、交差点に進入。
はっ速い!!
曲がり際に、KPのサイド管から出たアフターファイアー!!
『すっすげぇ~!!マフラーから火を噴きながら走ってる!!レースみたいだ』
今でもその出来事は、鮮明に覚えている。
こ、これだ!!俺が将来乗る車は。
小学生の頃から改造車とストリートレーサーに憧れ、
中学の頃は自動車競技にも興味が出始めた。
中学の頃は自動車競技にも興味が出始めた。
『何時かはクラウンは親父の世代、俺は何時かはKP』
そんな想いを持ちながら高校3年生になり、師匠と呼んでいた
走り屋だったディーラー営業のオネェちゃんの元へ
学校帰りに良く通ったもんだ。
走り屋だったディーラー営業のオネェちゃんの元へ
学校帰りに良く通ったもんだ。
『KP61は良いよ~。先ずは免許だね』とか
『TE71やAE86よりもKP61乗りなよ』
『今晩もイロハ坂行ってくるよ』等々…
『TE71やAE86よりもKP61乗りなよ』
『今晩もイロハ坂行ってくるよ』等々…
走り屋の姉貴と慕ってた方の言葉は、今も覚えてる。
そして18歳になり、いよいよ車の免許を取得。
貧乏学生の俺は、バイトで稼いだなけなしの金を叩いて、
錆々のKP61の5ドアを購入し、手直しは全て自分の手で行った。
錆々のKP61の5ドアを購入し、手直しは全て自分の手で行った。
裕福な奴らが多かった学校の友人からは、『オンボロKP』と
馬鹿にされたけど、俺にとっちゃ何よりの宝だった。
馬鹿にされたけど、俺にとっちゃ何よりの宝だった。
イロハ坂や地元の舗装林道だけでは飽き足らず、サーキットも走った。
勿論、遠出もした。
勿論、遠出もした。
2年後、俺にとって2代目のKP61。念願の赤のスポーツグレード。
コイツは、悪友の知人からの貰い物で、確か日本酒2本で俺の元に来た。
直ぐさま、足回り等々に手を入れて改悪。
直ぐさま、足回り等々に手を入れて改悪。
丁度、その頃新車で『カプチーノ』が販売され購入し、KP61と2台体制。
カプチーノ持ってても、KP61がメイン。
カプチーノ持ってても、KP61がメイン。
自分的に2代目に乗ってたものが一番スマートに決まってたと
思うんだけど、長年考えていた計画が有った。
思うんだけど、長年考えていた計画が有った。
『TS仕様(レース仕様)の外装で、公道を走らせたい』
勿論、公認取って堂々と乗りたい!!
当時は、まだ公認取るにも比較的厳しい時代だったなぁ。
勿論、公認取って堂々と乗りたい!!
当時は、まだ公認取るにも比較的厳しい時代だったなぁ。
そんな事考えながら、2代目の退役半年前の出来事。
宇都宮にKP61のTS仕様の公認車を持ってる方の情報を得る。
幸い、宇都宮当時に住んでいた頃それも小学当時に遊び場に
なっていた付近の方が所有していた。
幸い、宇都宮当時に住んでいた頃それも小学当時に遊び場に
なっていた付近の方が所有していた。
話を聞くと、色々イワク付の車らしく託す人を選んでいたらしい。
そして、俺の元へ。3代目KP61ワークス。
コイツは、10年程乗った。
携帯も無い時代、車を通して多くの仲間が出来た。
宇都宮界隈の旧車乗りのネットワークは強かったなぁ…
皆が皆、一期一会で見かけると?
追ったり追われたり。
携帯も無い時代、車を通して多くの仲間が出来た。
宇都宮界隈の旧車乗りのネットワークは強かったなぁ…
皆が皆、一期一会で見かけると?
追ったり追われたり。
車を止めて話してると、誰かしか知ってる奴が出て来る。
そんなこんな事がありながらも、個々の事情で旧車を降りてく仲間達。
俺にも、そんな時期が来た。
俺にも、そんな時期が来た。
『何時か復活させて、サーキットで走らせたい!!』
と思いながらも、もう何年動いてないかなぁ…庭先に放置されて。
元々、腐りやすいボディーなので日に日に朽ち果てて行くKP。
元々、腐りやすいボディーなので日に日に朽ち果てて行くKP。
復活させたいのは山々だけど、経済的余裕や時間的余裕が
有る筈も無く…。
有る筈も無く…。
そして迎えた本日。
御世話になってる車屋さんのレース仲間の元へ
旅立つ事になりました。
旅立つ事になりました。
雪から変った本降りの雨は、コイツが
別れを惜しむかの涙の様に思えた。
別れを惜しむかの涙の様に思えた。
約10年間の良い想いでと少しの消したい想いで…
復活の夢は、新たなオーナーに託して。
何時の日か、復活してサーキットと云う
晴れ舞台で、その勇士を俺に見せてくれ。
晴れ舞台で、その勇士を俺に見せてくれ。
何時復活させるの?
また、走る姿を見たいね。
とか、
朽ち果てていく姿を見てられないよ。
とか、散々仲間に云われたなぁ…。
また、走る姿を見たいね。
とか、
朽ち果てていく姿を見てられないよ。
とか、散々仲間に云われたなぁ…。
そして、お別れの時。
いや、お別れでなく新たな出発の時。
いや、お別れでなく新たな出発の時。
いっぱいいっぱいの想いでありがとう。
それと、復活させて晴れ舞台に
連れてけなくてゴメンな。
それと、復活させて晴れ舞台に
連れてけなくてゴメンな。
今度会う時は、サーキットで勇士を見せておくれ。
それが、コイツと俺の最大の夢だから…。
それが、コイツと俺の最大の夢だから…。
さらば!!KP61!!
何か、俺の中での一つの時代に区切りが付いた感じがした。
想いでは心の奥底にしまって
夢は託して・・・。
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