<span itemprop="headline">5年</span>








昨日で未曽有の大震災から5年が経過し、テレビやラジオからは忌まわしい
大震災を忘れてはならないとの如くアーカイブ的番組が多く流れていた様に
感じた。

自分自身もあの日の事をふと思い出した。

あの日あの時間、自分は当時県内でも有数な耐震免振構造を誇る建物の中に居た。
良く晴れ渡って寒い朝だった事を記憶している。

運命の14:46…

今迄経験したことの無い揺れを体験したものの最新の耐震免振構造の建物の
中に居たので此処まで酷い状況だった事を把握するまで少々時間を要した。
但、窓越しから見えた4月から解体工事が始まる古い会館がまるで生き物の様に
踊ってる姿を見て、ただ事で無い事が起きてる事だけは直感的に感じた。

電気は消え、街中サイレンが鳴響きそして夜を迎えてもその状況は変わらなかった。
夜通し起きてたっけ…身の安全を第一に考え、先ずは水の確保をしたなぁ。

写真は翌朝の益子ベースの庭の状況の一部、何度も使い回ししてるが良く晴れて
霜が降りてる事から冷え込みも厳しかった事を物語っている。

この写真の5年後の天気は雪、あの時今日の様な天候出なかった事だけは
不幸中の幸いだったのかもしれない。

5年経った今、忘れかけているあの日の記憶を時々で良いから思い出そう。
そして後世までこの出来事を伝えていくのが我々義務なのかもしれない。

震災の後、竜巻、集中豪雨等々災害が少ないとされていた当地にも
身の危険を感じる程の自然の驚異が度々襲い掛かっているのも事実。

だから

備えよ常に

この言葉を再度認識したい。


そ~云えば、去年はこの記事書いて無かったんだっけ…死にかけてた時だったしな。

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